イベントレポート − オートバイの販売修理 新潟 SBS青山

2006. 8月12〜14日  麒麟山温泉、弥彦温泉 ツーリング

1日目

 今年は例年より2,3名少ない上記3名となってしまいやや寂しい感もあるが気心の知れたメンバーで定刻6時にショップ前をスタートした。
環七から首都高鹿浜ランプ入ると既に東北道まで恒例の帰省渋滞は始まっていた。打ち合わせ通り最初の休憩場所である蓮田SAで待つものの後続が現れない。やがて山中氏が到着するが春日氏は首都高手前で財布を忘れてきたことに気がつき自宅へ戻って出直したとのことだった。その間に軽い朝食をとることにしたがかなり飛ばして来たのだろうかまもなく現れた。春日氏は一昨年のタンクバックをGSで落とし高速逆戻りPICK UP事件やつい先日のツーリングでも走行中リアカウルカバーを反対車線にふっ飛ばし往路でPICK UP事件など高速道では災難が続きなので今回は事なき得たと思われたが最後の3日目に今回も災難が待っていた。
全員揃ったところで再出発し渋滞の中を宇都宮ICまで進み、そこから日光宇都宮道路に
入った。こちらでも渋滞かと覚悟していたが全くガラガラで今市ICまでほぼ全開で距離を稼ぐことができた。ここからは会津西街道と称する国道121号線を鬼怒川、川治と温泉街を抜けて野岩鉄道沿いに会津田島まで進むことになるが五十里湖周辺まで来たところで天候が急変し強い風に渦を巻くように木の葉が舞い上がり何かの前兆かと思っていたら、間もなく大粒の強い雨が降ってきた。慌てて駐車スペースを探し雨支度したが既にブーツの中まで浸みこむほどひどい状態であった。中三依辺りの木陰で暫し雨宿りして様子を見ていたが進行方面の上空に晴れ間を見出せたので止むのを待たずに出発することにした。

途中で小降りになり昼食予定の会津田島に着く頃には晴れて日差しも見えてきた。国道400号との分岐を少し通り過ぎた地点にある蕎麦処で会津の蕎麦を味わった。会津地方は周囲を山で囲まれた盆地のため寒暖の差も激しく蕎麦の栽培に適している。大変美味しかったがセットもので蕎麦の量が少ないのが残念でもう一枚ざる蕎麦をおかわりしてしまった。
昼食後は国道121号線を戻り先ほどの分岐から国道289号線を暫く走り国道400号線に右折すると信号などない田園風景の田舎道が続き快調に昭和村まで進んだ。本来であれば途中で国道401号線に右折し喰丸峠から県道32号線を西山まで抜ける峠越えコースを予定していたがいつの間にか分岐を見落として通り過ぎてしまったようだ。この頃には日差しもかなり強くなりトイレ休憩も兼ねて近くにあった“からむし会館”と云う地元の工芸品を展示する施設に立ち寄った。そこの駐車場で濡れたまま履いていたブーツと靴下を脱ぎ捨て天日干しすることにしたがあっという間に乾いてきた。結局当初予定の峠越えコースへの修正は時間的にも諦めてこのまま順調なペースで走れる400号線を選択し金山町へ向った。会津川口で国道252号線に合流するがその手前で沼沢湖南端を経て会津宮下へ抜ける県道237号線に右折しショートカットすることにした。途中の宮下ダムで休憩としたがその道路脇2メートル位のところを走る単線の軌道が気になって地図で確認したところ只見川沿いに走るJR只見線であった。

 この先で国道252号線(400号線と共用部分)に合流するもすぐに会津西片市街地の赤い鉄橋を渡ると再度国道400号線単独部分に入り車幅の狭い山道を西会津方面に進んだ。この道も快調なペースだったので小生は国道49号線への合流地点まで先に進み待機することにしたが後続がなかなか現れない。心配になりUターンしようとしたところようやく現れたので確認するといつもは2番手をついて来る春日氏が今回はTZRの排ガスを遠慮したのか最後方にいたので国道沿いに左折しなければならない地点を柳津方面に直進してしまったがすぐに前方にいるはずの山中氏が見えないのでこんなに早く峠道を抜け離される訳がないと悟り気づいたそうだ。国道49号線に入りまもなくすると“道の駅 にしあいづ”で最後の休憩をとることにした。ここまで来れば目的地まであと残り 25KM前後であると把握していたのでホッとして気が楽になってきた。

 この49号線は福島県のいわき市と新潟市までを横断して結ぶ磐越街道で両親ともども会津若松生まれの小生には子供の頃から馴染みも深い幹線であるが会津坂下より先の新潟方面に向かうのは以外にも今回初めてであった。この地方を走行していて少し気に入らない物があった。それは側道から幹線に出ようと信号待ちしていてもなかなか赤のまま変わらない。確かに車両感応式と信号に表示はあるもののよく見ると何と道路脇に二輪用の押しボタンがある。二輪には感応しないようであり原付、スクーターなどの小回りもきくものであれば良いが、大型バイクで右折しようと車線右側に寄っている時には全く迷惑であり危険であると思った。幸い毎回最後方の春日氏に押す役割を担当してもらい助かった。バイパスである国道49号線を快調に走りやがて津川市街手前で国道459号線に右折すると2,3分で本日の宿である麒麟山温泉“雪つばきの宿 古沢屋”に到着した。

 ここには雪つばきの宿と冠がついているがその由来は敷地内にある訪春園と云う庭園には約100種類、2千本の数種類の雪椿(新潟県の県花となっており “花は越後の〜花は越後の〜雪椿”と小林 幸子の歌のフレーズにもなっている。)がありその見頃は4月半ばということなのでこの時期は残念ながらお目にはかかれない。しかし標高175Mの小高い岩山である麒麟山(この名の由来はその姿が中国の架空の動物である麒麟に似ているからだそうだ)の麓に建つ客室はすべてリバービューになっており眼下に阿賀野川、その向こうには飯豊連峰、遠くに五頭連峰を見渡すことができ、また床下かわ湧き出すようになっている露天風呂(泉質はナトリウム-塩化物・硫酸塩温泉)からも同様の眺望を楽しむことができる癒し系の宿である。夜になると宿の目の前にある阿賀野川の中の島がライトアップされ闇夜に浮かび上がり幻想的な雰囲気を漂わせている。その露天風呂でゆっくりと旅の疲れを癒した後の夕食は部屋食としてもてなされ豊富な品数の料理に舌鼓を打ちながらワインや地酒の麒麟山でほろ酔い気分となり旅の一夜を堪能した。

 

2日目

 夕べは布団に横になると疲労感と酒の力で8時半頃には爆睡してしまった。普段は遠距離通勤をしているため5時半には起床しており、習慣でその時間には目が覚めてしまったので朝風呂に浸かった。前日露天風呂に入った時に誰も居なかったので眼下に広がるすばらし景観にここで一句と思い俳句を考えていたが適当な季語が思い浮かばないでいた。今朝もまた一人だったのでその続きを考えているうちにいつの間にかその早朝の水墨画のようなモノトーンの情景より短歌になっていた。僭越ながら一首披露したい。

“ 山越えて 川面を渡る 朝霧の 磐に苔むす 湯煙の宿  ”
 
  もともと2日目は天候やメンバーの気分で走る気があれば国道252号線まで戻り只見川沿いに池の峰から国道290号線への峠越えで三条市を経て弥彦に向かうハードなコースと
阿賀野川沿い国道49号線から三川で県道14号線を経て五頭連峰の山中を峠越えで新発田市から日本海岸沿いに国道113号線、402号線と繋ぎ弥彦に向かうのんびりコースを二通り用意していたが、昨夜山中氏の同業の知人である新潟市内青山町で“SBS青山”を経営している古俣夫妻とのメール及び連絡で当日13日も午前中は営業しているとのことで午後からならと急遽立ち寄らせていただくことになった。小生もご迷惑ではないかと思慮致したが既に話しがとんとん拍子に決まってしまったので必然的に後者のコースを選択することとした。ショップに午後一番の約束であったため何処か時間調整的に立ち寄る場所をと探していたところ、当日は8月の日曜日で新潟競馬場にてローカル開催があることと山中氏が競馬場に行ったことがなく一度行って見たいと要望があったので道すがら途中にあり一時間程度の暇つぶしと冷房のきいた場内で涼むには良い場所かと思いこちらも急遽取り入れることにした。

 

 朝食後精算を済ませ、宿に紹介された近所の麟山堂と云う有名なまんじゅう屋さんで土産を買おうと立ち寄ると話し好きの店主が迎えてくれてお茶と試食用のまんじゅうをもてなしてくれていろいろと地元の話しを伺うことができた。ここ津川は現在では新潟県に属しているが江戸時代には会津藩の出城があったところで食物や民芸品など文化的には越後というよりはどちらかと言えば会津色が濃いような気がした。

 49号線を左に阿賀野川を見ながら新潟方面に進み始めるとやがて現れると思われた県道14号線の標識がはっきりとせず“道の駅 みかわ”まで行き過ぎてしまった。そこで休憩をとりながら検討した結果、逆行して時間的にロスするよりこのまま五頭連峰の日本海側の山麓を走る国号290号線を選択することにした。阿賀野市で国道290号線に右折し進んで行くと田園風景の中に突然と月岡温泉が現れてきた。そこで温泉街を左折し県道55号線、県道46号線と市街地を貫けると最初の目的地である新潟競馬場に到着した。入場料¥100.-を支払い場内に入ると既に11時半頃になっていたので猛暑の屋外より涼しい館内で午前中最後の障害レースを新聞など買っていなかったのでオッズプリンターでプリントして得たオッズより検討し、ファンファーレとともにスタンドのゴール板前で観戦したが小生が少々購入した馬券は惜しくも1着、3着であった。山中氏へは一番人気馬から数点推奨したが着外に沈みビギナーズラックは訪れなかった。小生も全国各地の競馬場をまわっているが意外にも新潟競馬場には初めて訪れた。ここは国内で唯一直線だけで1,000メートルの競争が施行できる競馬場だけあってスタート地点は遥か遠く見えなかった。個人的には1日じっくり楽しみたい気もしたが次の予定も詰まっているので結局40分程度で早々に切り上げ、新潟市内に向うべく国道7号線バイパスに競馬場ICより合流した。事前に道案内された通り黒埼ICでバイパスを出て青山町方向に標識を頼りに進んで行くとやがて右手に“SBS青山“の看板を発見し迷わずに予定より15分程早めに到着することができた。しばしショップ内で休ませていただき車で近所の古沢屋(昨日宿泊した旅館の古沢屋とはもともと同じ屋号の割烹料理店から派生して分かれたものであるが現在では資本関係は無いとのこと)と云う蕎麦屋さんで昼食をご馳走になってしまった。普段は空いているそうだがお盆で混雑していたのかすいぶんと待たされた。その間に新潟と東京との習慣の違いや地元でのご苦労などの話しを伺い、夫妻とは同世代とういこともあり、オーナーと常連客のように気さくで楽しいひと時を過さていただいた。

 

 ここから先は海岸沿いの国号402号線を弥彦方面に南下する予定であったがショップに戻ると古俣夫妻がゼファー1100にタンデムで市街から途中まで先導していただけることになった。ご好意に甘えて追走しているうち海岸線の防砂林を抜ける辺りで山中氏が夫妻のゼファーのナンバープレートが落ちかけているのに気づき緊急停車して確認すると左側のボルトが外れてしまっていた。小生のタンクバッグに何年か前に転倒した際に外したアンダーカウル用のボルトとストッパーで仮留めして事なき得た。西日の差し始めた海岸線を順調に進むと目的地は山の向こう側というところまで来たので海水浴場駐車場の一角にある海の家で少し休憩することした。店内でかき氷が苦手という古俣ご主人を巻き込み全員でかき氷を食べながら今日一日も好天に恵まれて火照った体をクールダウンした。

 その後に向った弥彦スカイラインが土砂崩れで通行止めになっていた為、引き返し弥彦山を迂回する形で観音寺温泉側に所在する本日の宿である“総合生協の宿 やひこ荘”に無事到着した。
結局古俣夫妻に宿の前まで先導していただき最後まで面倒お掛けすることになってしまいお忙しい中、心より深謝申し上げます。

 宿にチェックインしひと息ついて風呂に向ったが他の客は早めに到着していたのか誰も居なかった。こじんまりしているが岩風呂の露天(泉質は硫黄、ナトリウム、塩化物冷鉱泉)で疲れを癒し、汗を流した。やがて夕食の時間が近づいてきたので早々に切り上げた。今日は食堂での夕食だったがこの宿は生協が運営している保養施設で、新潟県福祉まちづくり条例適合建築物になっていてエレベーターも車椅子用に館外から客室へエントランス可能なよう両面開閉になっておりバリアフリー化も徹底されている。夕食も蟹、海老など海の幸を中心にホテルなどと比較しても遜色無い割に相場より5千前後はコストセーブできる。景観的には前日とは全く異なり弥彦山からの眺望と期待していたものではなかったものの、二泊する場合いずれかは出費を押さえたいものである。この日も夜は地酒に酔いながら長くはもたず早々とぐっすりと眠ってしまった。

3日目

 朝の目覚めも良く、風呂に入ったあと朝食をとり精算を済ませると一番にこの先にある弥彦神社へ参拝に行った。弥彦神社は佐渡弥彦米山国定公園に属し標高 638メートルの弥彦山の麓に鎮まり、古くから「おやひこさま」と呼ばれ魂の拠り所として多くの人々から親しまれてきた。日本最古の万葉集にも弥彦神社を詠んだものが二首歌われているそうだ。鬱蒼たる樹木で覆われた境内を抜け神殿では厳粛な気持ちで家族の健康を祈願した。お守りを購入したあと境内の弥彦山ロープウェイ山麓駅までのシャトルバス乗り場からバスに乗り山頂へ向うことにした。料金は往復¥1,200、−と割高であるが若いお嬢さんのガイドが数名おり、人件費を考慮するとやむを得ない感がする。うみひこ号、やまひこ号が交互に15分単位で運行されており、約5分で山頂駅まで到着するが車内からは弥彦競輪場など市街はもちろん広く越後平野を一望できる。山頂は山上公園となっており360度回転昇降するパノラマタワー、展望レストラン、テレビ塔などの施設があるが日本海側は生憎の曇り空で視界が悪く佐渡は望むことはできなかった。こうなると早々に次の便で山麓駅まで降り再度シャトルバスで境内に戻ることにした。この頃にはだいぶ観光客の数も増え始めてきたので鳥居前に立ち並ぶ土産屋で物色し用を済ませて本日のスタートとした。

 

 神社の参道を横切るかたちで県道2号線に出てしまった為、残念ながら駅前の日本最大と言われている大鳥居は通過できなかったが先を急ぐことにした。信濃川から分かれる大河津分水路沿いに走り途中の渡部橋を対岸に渡り、国号402号線に合流すると間もなく大型鮮魚店が立ち並び魚のアメ横として有名な寺泊町に入った。海水浴客と観光客で道路も混雑して昼時にはまだ早かったのでここは残念ながらスルーすることにした。国道402号線は越後七浦シーサイドラインの俗称があり、この辺の海岸線は広く遠浅になっているそうで海水浴客も多くこの時期は路上駐車している車の影響で混雑し当然ペースも遅くなる。出雲崎町に入り“道の駅 越後出雲崎天領の里”で休憩をとった頃には猛暑もあって皆少々バテ気味であった。ここを過ぎると西山町から国道352号線となり、柏崎市になるが個人的にどのようなロケーションに立地しているのか参考までに立ち寄ってみたい場所があった。小生の仕事上の納入先として原発の部品を配送手配している東京電力(TEPCO)柏崎刈羽原発である。ここも他のTEPCOの原発同様エネルギー館等の見学施設があるが今回は時間的に国道116号線へ抜ける際に前を通過するだけにした。国道116号線から国号8号線を経由して途中の北陸自動車道の柏崎ICは長岡まで逆戻りになるのでパスして国道252号線、国道291号線を経て小千谷まで進み関越自動車道の小千谷ICから高速に入った。この間は快調に飛ばしていたので小生は気づかなかったが途中の国道291 号線沿いにやはり山中氏のもう一件の同業の知人である上野商会さんの店舗があったようだ。

 関越自動車道に入ると順調に流れていたので次の越後川口SAで昼食を予定していたが時間帯が悪く混雑していたのでもう少し先まで進んでとることにした。ここで春日氏のTZRがアクセル全開でも80KM/Hまでしか回らない不調が現れた。後日キャブレター系のトラブルであるとわかったが、当時はごまかしながら何とか三芳SA辺りまでたどり着ければよいなと話して春日氏が先行し我々が後を追いかけるようトラブル対策して進んだが当の本人は当時の暑さでバテ気味でかなりストレスが溜まっていたようだ。小まめに各SAで休憩し念のため早めに給油しながら進んだがよっぽど悪運が強いのかあるいは普段の行いが良いのか皆とともに無事に帰還することができた。

後記

初日の激しい雨は東京の山手線も落雷の影響で3時間も不通になる程の全国的な荒れ模様の中でわずか2時間程度の降雨のみであとは好天に恵まれ各温泉宿のもてなしや新潟SBS青山の古俣夫妻との交流もあり普段では味わうことのないような最高のツーリングを楽しむことができた。また小生は今でも法事などで会津地方に往来する機会が多いのでこの地方を中心とした東北地方の地理には精通している方だと思っていたが、今回想像以上に一般道の組み合わせのバリエーションが多く、コースを少し変えるだけで新たな発見と楽しさが広がって行くこと、また自身がその半分も掌握していないことと今更ながらツーリング奥の深さを思い知らされた。

思えばロングツーリングの7割程度が高速走行になってしまうのが現実で昨今の高速道二輪タンデム走行解禁、二輪ETC化への一部モニター導入などでその利便性ばかりが強調されてはいるが原油価格の高騰などまだまだライダーの負担は大きい。ここで二輪のETCが一般化される前に個人的な提言をしたいと思う。 JHの現構造ではいつまで経っても高速道のFREE WAY化など到底ありえないと誰でも容易に想像はつくが個人的には二輪の高速走行による有料支払い額は四輪、サイドカーなど三輪の50%程度が妥当であると思う。車種による影響が強く反映されるとは思うがタンデム解禁後これまでにタンデムをしていな者は今後もまずすることはないだろうし、できればしたくないのが本音である。ETCが一般化になる際に損保の年齢条件割引のように登録する個人情報の中にそれらライダー固有の情報(免許取得年数、走行年数、ゴールド免許の有無、違反の履歴等)や走行条件(タンデムしない意思表示)をつけて優良な条件のライダーには最大で50%の割引を受けることができるようにしたら個人の車社会での正当な評価を受け、また差別化されることでその恩恵を受けることができる(四輪のETCでも早朝割引など既に実施されているものがある)。このある種の優越感が重要なのである。何故ならこれらの恩恵を受けられる対象は他でもない我々同世代が多いはずである。金銭的にも時間的にも多少余裕があるが諸般の事情で休眠中のひと昔前のライダーを復活させることあるいはそこまで決断しきれないでいる彼らの背中を押してあげるようなことを増やしてあげれば現代の少子化が進行する中で業界の活性化を図ることとなるはずでありまた若い人の中でも特典のある優良ライダーを目指す者が生まれ安全走行や防犯効果に波及するはずでありその相乗効果を相互理解しETCを普及させ料金を徴収する側のJHと有効活用し支払う側のライダーの当事者のみならずETC本体及び二輪メーカーが積極的に参画して行政に反映させてこそ真の意味があると言えるのではないだろうか。

 

担当 齋藤